ネットの変遷に思う
2016/08/07
グーグルに検索結果の削除を求める訴えが起こされていて、10日、東京地裁がそれを認めたそうだ。
起こすほうも起こすほうだが、認めるほうも認めるほうだとびっくりした。
きまぐれで自分の名前をググってみて変な結果が表示されることに仰天したのかもしれないが、玉石混淆なのがインターネットの常態である。
ネットに転がっている情報の真偽判定はネット利用者のリテラシーに委ねられてきた。
全部を信じるバカはいない。玉石混淆のなかから自分にとって有益なものを選び取るのが賢明な大人のありかたではないのか。
インターネットは、その発祥の当初から、ゴミ溜めのようなものだった。
善意の分配者であると同時に、悪意うずまく地でもあり、とても便利であるとともに、痛い目に遭うことも覚悟の上で利用しなければならなかった。
当然、意図的な嘘や誹謗中傷には事欠かない。その全てを排除するようデザインすることと、利用者がみずからの選択を行使できるように恣意的な排除は行わないこと、一体どちらが良心的だろうか。
以上のように、私はインターネットの影の部分を変に整備することには反対なのだけれど、同時に、別の思いもある。
先日じんましんが出て皮膚科の病院を探したとき、Googleプレイスのクチコミには大変お世話になった。
クチコミ自体が非常に少ないのだけれど、アカウントを持ったユニークな個人しか書き込めない情報には信頼感があった。
掲示板サイトのように、ひとりの書き込みで多数の人が同意見であるかのように偽装することは、ここでは不可能だと思った。
これはこれで、いいことだ。
kanagawa拝