脱・成長志向

      2016/08/07

水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)がおもしろい。とはいえ、この現実の危機をおもしろがっている場合ではない。

 

資本主義とは何か。資本の自己増殖のシステムだ。資本の自己増殖の成立条件は投資先であるフロンティアの存在だ。しかし今や、地球上のどこにもフロンティアは残されていない。したがって資本主義は終わる。

 

異議をさしはさむ余地がない。

 

こういう爆弾を新書の形でしれっと出版してしまう日本も捨てたものではない。本当のことしか言っていないし、いたずらに読者を煽るのでもない。なんとか世の中みんなで力を合わせて、生き延びていくための具体的なイメージを思い描こうとしている。

 

しかし資本主義の次にどのような経済の体制が来るか、その具体像をいきいきと描き出す天才はまだ現れていないし、この本の著者もそれは自分の手に余るとハッキリ言っている。

 

ただヒントはある。成長志向を脱し、定常状態を目指す、ネガティブに言えば「現状維持」だ。現在の日本の政策とは真逆である。

 

これから世の中はどうなってしまうのだろう。

 

世界が崩壊に向ってゆくと信ずることは簡単であり、本多が二十歳ならそれを信じもしたろうが、世界がなかなか崩壊しないということこそ、その表面をスケーターのように滑走して生きては死んでゆく人間にとっては、ゆるがせにできない問題だった。(三島由紀夫『天人五衰』)

 

いくら資本主義がポンコツだろうが、二〇世紀の壮大な実験とその破綻を記憶している我々はそう簡単にオルタナティブを夢みることはできない。ほぼ完璧に近い哲学体系があっても、資本主義社会に代わる現実の社会を建設することはできなかった。

 

この経験は社会変革に対する哲学の無力を教えた。少なくとも即効力はない。哲学は時間を飛び越えて〈あるべき姿〉を提示するだけだった。

 

『資本主義の終焉と歴史の危機』は明快な論理で資本主義の死を宣告する。それは誰の目にも正鵠を射ているように見える。しかし代替案がないので、はなはだ微温的に、資本主義の暴走にブレーキをかけることを提案するだけだ。

 

袋小路だ。

 

kanagawa拝

 - コラム_T.HASE