私がGoogle AdSense広告を止めた理由。

      2017/02/24

少し前までこのサイト上に

Google AdSense(以下、アドセンス)を配置していたのですが

予定通り、一旦すべて外しました

(アドセンス)広告の内容は、コンテンツに連動したものかユーザーのGoogle検索履歴に関連した広告が自動的に配信される

このサイトを運営する理由は

不労所得をえることではくて、

私自身の紹介・自社サービスの宣伝が目的だからです。

アドセンスは少しずつ小銭化しつつありましたが

額が月30万円とか50万円になると気持ちがブレて

外せなくなる為、現段階での対応としました。

 

因みに、100歳まで生涯現役で仕事し続けるつもりなのですが、

想像するとあと60年近くもあると考えるとゾッとしました^^;

”仕事をする”のはまぁ出来るのですが、”仕事をつくる・仕事を呼び込む”のが難しいのです。

一生、声高に広告宣伝はし続けないといけません。

 

ほんの少しですが、アドセンスを運用して見えたのは当たり前の事実です。

記事の内容表示される広告相思相愛になった時のみ、成約する。

「俺たちは、氷室京介を卒業できない」というコピーが秀逸すぎる。

文章は短いですが、ヒムロックのベストアルバム発売のタイミングだった為、

クリック数が多くこの記事が一番収益化しました。

 

ネット広告はもう一度“広告”にならないといけない(これ、だいじな話!)

アドタイの記事ですが、スマホでの広告展開はこれからより一層難しくなるはずです。

広告は、コンテンツをディストリビュートする仕組みになる。

重要なのは態度変容を促すコンテンツと、自然に接触する誘導枠。

その全体像を構築するのがプランニングになります。(上記リンクより引用)

アピールは必要だけど、あくまで自然体であらねばならない。

押し付けられるのはもってのほか。

 

ただでさえ狭い画面の中にドでかくインサートされる

たいして興味のないバナー広告は間違いなく嫌気される。

テレビのCMがいまだ堅調なのは、ずっとスマホをいじりながら

テレビもチラチラとモニターしている

”マルチディスプレイ(2画面)状態”になっている為ですかね。

番組途中にAbemaTVのCMをテレビでみて、そのままアプリをダウンロードするイメージ。

 

ほぼ日 「包み紙」でいいと思った

つまり、お茶碗の包装紙でも、襖の唐紙の下張りでもいいんですけど、
何らかのかたちで「断片」を手に取ることができて、
もっと読んでみたいなという気持ち(上記リンクより引用)

失礼ながら、塩野米松さんを存じ上げなかったのですが

たまたま糸井さんと田中泰延さんを交えたこの対談記事で知って興味を持ちました。

本日24(金)より『中国の職人』が全文一挙公開とのことで

読んでみようと思っています。

この”無料コンテンツ”自体が”広告宣伝媒体”として機能しており、

更に深掘りを誘発されると、塩野さんの手掛けられた

他の商品(書籍)への購買行動へと誘引されていきます。

 

 

このサイトでのアドセンスはやめましたが、

私広告(ex.私小説)自分が本当にオススメしたいモノの紹介は

引き続きおこなっていきます。

アドセンスだと、自分の本意でない広告が表示されるのが嫌だったこともあります。

閲覧する人に寄り添うものであり、サイト運営側にイニシアチブが無く

見栄えが決してキレイなものでない。

ただ、アドセンス自体はGoogle検索が人々のニーズに答え続ける限り、

ブログ記事の本数が蓄積されれば不労所得となりえるので有用性はあるでしょう。

 

少しずつ信頼感を醸成しながら、

どこのポイントでお金を稼ぐか(収益がないと生きていけませんので)により

サイトの運営方法もそれぞれ違ってくるということです。

うちのサイトは取り急ぎ、広告一等地を更地にしてスッキリとさせました。

T.HASE拝。

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